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第4章 「いわき市・東日本大震災の証言と記録」記録誌及びDVD(平成25年3月25日発行) | いわき市役所

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(1)

第 4 章  混 乱 か ら 復 旧 、 復 興 へ

    い わ き 市 は ど の よ う に 立 ち 上 が っ た の か

(2)

1 混乱の沈静化と復旧に全力

(1) 市災害対策本部の立ち上げと対応

① 災害対策本部の設置

 大地震発生直後の午後2時49分、気象庁から大津波警報が発表された。

 市は、地震発生直後の午後2時50分に、「災害対策基本法」第23条に基づき、災害が発生した場合の臨時 組織としていわき市災害対策本部を設置し、24時間体制で災害対策業務を開始した。(図4-1)

 未曾有の大災害によって、本庁舎も被災したため、予定していた本庁舎第8会議室が使用できず、災害対 策本部の機能を代替場所の消防本部に置かざるを得ない状況となった。このため、専用回線を使用した情報 の交換・共有ができず、電話・FAXの確認などの面で支障を来たす部分も生じた。

 このように思うように初動体制が取れないなか、多くの職員を投入。津波の避難指示、避難所の開設や備 蓄食料・寝具の配送・追加発注、日本赤十字社・自衛隊の要請、膨大な量の支援物資受け入れ、さらには原 子力発電所事故による放射性物質の被害、日常生活用品の不足など、日々刻々と変化、同時多発的に発生す る膨大な業務量(第3章60ページ以降に記述)の対応に追われることになった。(写真4-1)

することで対応ができた。

 しかし、今回の東日本大震災の初動対応期については、いわき市においても、ほぼ平常時の対応を中断し て、災害時対応に振り向けざるを得ない状態となった。それほど災害の規模は甚大であった。

② プロジェクトチームの編成

 組織的には、市災害対策本部が構成する各部各班、地区本部の各班がそれぞれ職務分担して対応に当たっ た。(図4-1)

 しかし、被害が甚大で、しかも市全体に被害が及んだうえに原子力発電所の事故による被害や生活用品の 不足という、これまでにない事態に対応しなければならず、またこれらニーズが多岐にわたったことから、 これまでの組織、人数では到底機能し得ない状況が生じた。

 これらの事態に対しては、市災害対策本部は、担当部署を超えた災害対応の機能に応じた、横断的組織と なるプロジェクトチームへの組み換えを行った。

 「避難計画策定」(実行に移されず、「住宅プロジェクトチーム」へ移行)、「応急給水」、「り災証明書」、「被災証明 書」、「一時提供住宅」、「原子力災害対策」、「除染」、「損壊家屋等解体撤去」などについて、関係業務プロジェ クトチームを適時、設置して対応に当たった。このほか各部においても、これらに準じ、生活災害支援、バ ス輸送、ガソリン調達、学校給食業務復興などのプロジェクトチームを設置して業務推進の円滑化を図った。 これらはいずれもトップダウンにより、組織を超えて構成されてすみやかに実施に移された。

 また、業務が増え人員不足を来たした際には、「職員応援制度」を活用して対応した。

③ 広域多核都市「いわき市」特有の課題

 市は災害対策本部立ち上げ直後から断続的に会議を開いた。しかし、各部の対応が少しずつ軌道に乗るよ うになると、全体の問題認識を共通で持ちながら、状況判断を的確に行い、被災対策に向けた迅速な意思決 定が図られるよう時間を決めて本部会議を開き、短時間で各方針を決めた。この本部会議については、3月 11日から15日までは断続的に開催したが、3月16日からは会議時間を決め、1日1、2回実施し、6月10 日まで連日継続、6月11日から9月16日まで書面開催を実施した。

 この間、本部と地区本部の会議も6回、開催した。

 この会議のなかで浮き彫りになったのは、広域多核都市の都市形態を如実に示したものであった。

 一つには、平時においては合併前の市町村を基本として設置している13地区が機能していることである。 支所は旧市町村区域を単位として市民課窓口を中心として機能していて、このなかで旧平たいら市の地区について は効率化の観点から支所を設けず、窓口を主体とする業務についても本庁各部が分散したカタチで各機能を 担っている。

 一方、災害が起こった際に平地区本部を構成するのは、土木部、生活環境部などの一部職員であった。少 人数ながら支所が概括的に地域を所掌しているのとは大きな違いであった。

 今回の大災害においては土木部、生活環境部ともに本部機能の対応に向かわざるを得ず、結果的に本部業 務と平地区本部業務が混在する状況となった。平時における平地区の業務が各部各課に分散していても機能 していたことが、急を要する災害時にはマイナスに働いた。平地区はいわき市では最大の人口を有する地区 であり、大きく被災した地域を抱えただけに個別対応も膨大な分量となった。

 もう一つは本部と地区の情報共有という点であった。4月7日に開催された災害対策本部・地区本部会議 の合同会議では、その点が地区本部から提起された。

 本庁と少ない人員が総力で当たる必要のある支所との間で、ともすると情報伝達が徹底されず、(これは通 信が遮断されたことにもよるが…)住民との意思疎通を欠くことにもつながりかねず、加えて、震災に関する制 度自体が常に改変され、あるいは改変される可能性を含んでいたことから、十分に意思疎通が取れないのが 現状であった。

図4-1 いわき市災害対策本部の組織図

いわき市災害対策本部

 本来、災害対策本部は災害時に対応した緊急の対応組織体 制であることはいうまでもないが、同時に平常時の組織体制 や運営方法を災害対応に変化させることでもあり、災害が大 きければ大きいほど、その組織は大きくなり、その分平常時 対応はできにくくなる。

 これまで大きな地震に見舞われたことのなかったいわき市 においては、「水防」の体制で多くの水害を乗り切ってきた。 それは気象予報により被害の大きさをある程度予測できたこ とから、大きな台風が来襲した場合など、既設の体制を強化

写真4-1 地震、津波、原発対応が相次ぐ、市災害対策 本部〔3月12日 いわき市撮影〕

(3)

 さらに、全組織が災害時の緊急対応する時期を経て、それぞれの部署が機能回復に向けた業務へ、つまり 震災前の業務へ回復させるための業務や、その部署で新規に発生する被災者対応業務が加わってくると、支 所へ振り向けられる業務が過重となり、支所においては支所内の職員だけでは対応できない状態に陥った。  この事態は、震災後半月から3、4か月の復旧期に集中したが、部局間、本部・地区本部間では会議や文 書通知などのシステム化により、連携の強化に努めた結果、円滑に対応できるようになった。

 また、部署を超えた新たな業務を伴った通知などが来た場合、どの部署が業務を担うのか、地方レベルで は調整に時間が必要となり、その結果住民対応の現場に影響を及ぼした。

(2) 市災害対策本部が発した「避難」(津波、地震、原子力)指示など

 市が市内沿岸部に対する避難指示を 解除したのは3月13日午後5時58分 であった。気象庁の津波注意報が解除 されたことを受けたものであった。

③ 地震に伴う「避難」

 地震に伴う避難勧告、避難指示を発 令することになったのは、本震で被災 し、追い討ちをかけるように発生した 4月11日と翌12日の2度にわたる直 下型の余震など、度重なる余震が大き

① 避難指示、避難勧告、自主避難

 「災害対策基本法」第60条では、「災害が発 生し、(中略)人の生命又は身体を災害から保護 し、その他災害の拡大を防止するため特に必要 があると認めるとき」に「避難勧告」、さらに 緊急度が高い場合に「避難指示」が規定されて いる。「避難勧告」「避難指示」の判断は、市町 村長が行う。(写真4-2)

 このほか、避難のための準備を呼びかける段 階として「避難準備情報」がある。(図4-2)  法的にはないが、今回の災害では、「自主(的) 避難」という言葉を耳にした。文字通り、避難 勧告や避難指示が発令されていない段階で、自 主的に避難することである。

 なお、外国では「避難命令」という言葉があ

写真4-3 「避難勧告」を発令した常磐西郷町忠多地区

〔平成23(2011)年3月17日 いわき市撮影〕

るが、日本では規定されていない。また、原子力事故の場合は、原子力災害対策特別措置法第26条に避難 指示が規定されている。

② 津波に伴う「避難」

 大地震発生の3分後の3月11日午後2時49分、気象庁から大津波警報が発表された。

 市長は、災害対策基本法に基づき、午後2時51分市内沿岸に避難指示を発令し、防災行政無線で対応、さ らにこれを受け、沿岸部を所管する各消防署や消防団も消防車両などにより海岸付近の市民へ避難指示を呼 びかけた。

く影響した。

 これらの地震により、市内の各地で土砂崩落や地すべりなどが発生したため、市長はこれまで避難指示や

④ 原子力発電所事故に伴う「避難」

ア すべての事項に内閣総理大臣が直接指揮

 ②、③の各避難措置については、いずれも「災害対策基本法」に基づく措置で、市長が発令したものであっ たが、原子力発電所の事故に伴って、避難に関する措置を行う場合に状況は異なる。

 原子力災害の場合には、災害対策基本法の特別法として制定された「原子力災害対策特別措置法」に規定 されている。このなかでは、原子力緊急事態が発生したと認められる場合、内閣総理大臣は「原子力緊急事 態宣言」を公示し、政府だけでなく、地方公共団体、原子力事業者を直接指揮し、すみやかに災害拡大防止 や避難などができるよう、内閣総理大臣への全権集中を定めており、このうち同法第26条に緊急事態応急 対策としては、「原子力災害に関する情報の伝達及び避難の勧告又は指示に関する事項」が盛り込まれている。 すなわち、市長は原子力に関し、住民避難の「勧告」「指示」の権限を持ち得ないことになる。

イ 「自主避難」への対応

 福島原子力発電所1~3号機が稼動停止し、機能不全が進むなか、政府は3月11日午後7時3分に原子 力緊急事態宣言を発令。

 菅内閣総理大臣は、3月11日午後9時23分には、福島第一原子力発電所の半径3km圏内に避難指示、半 避難勧告を相次いで発令した。(表4-1)  このうち田びと地区については、その後 土砂崩落などの兆候が認められないこと から、4月16日に避難指示を解除。また、 渡わた

なべ

まち

かみ

かま

地区については主要地方道い わき-石いしかわ線の土砂崩落の仮復旧工事が終 わったことから、8月31日に避難勧告を 解除。また、内うちごうたかさかまちたかはし地区について は、緊急砂防等関連工事が終了したことか ら平成24(2012)年8月20日に避難勧告を解 除したが、常じょうばん西にしごうまちちゅう地区については、 復旧工事が完了していないため、現在も避 難勧告を発令中である。(写真4-3)

写真4-2 情報を収集する市長〔3月25日 いわき市撮影〕

図4-2 避難に関する種別と拘束力

種  別 拘 束 力 内      容

避 難 準 備 情 報 事態の推移によっては、避難勧告や避難指示を行うことが予想されるため、避難のた めの準備を呼びかけ。

避 難 勧 告 避難のため、住民に立ち退きを勧め促す。

避 難 指 示 被害の危険が切迫したときに発せられるもので、「勧告」より拘束力が強くなるが、強 制力はない。

表4-1 避難指示・避難勧告の経緯

避難指示・勧告地区 避難指示・避難勧告経緯 常磐西郷町忠多地区

(忠多住宅団地) 3/17 午前8時 30 分 避難勧告発令

※ 現在も発令中 田人地区の一部

(貝屋、神山、才槌、堀越) 4/15 午後2時 避難指示発令 4/16 午後6時 避難指示解除 渡辺町上釜戸字青谷地区の

一部(2世帯6人) 4/22 午後4時 避難勧告発令 8/31 午後3時 避難勧告解除 内郷高坂町高橋地区の一部

(3世帯 8 人 ) 6/28 午前9時 避難勧告発令 平 24/8/20 午前9時 避難勧告解除

(4)

径3kmから10km圏内に屋内退避指示を、それぞれ発令した。翌日午前5時44分に10km圏内を避難指示へ 切り替え、さらに午後6時25分には、半径20km圏内にも避難指示を発令。今後の事故の状況によっては、 さらに避難指示の圏内拡大が懸念された。

 この間、福島第一原子力発電所の事故については、情報が正確に伝わらないなか、テレビなどが刻々と深 刻さを増す発電所の情報を伝える。

 市は避難に関し、国や県からの指示や事故などの情報を入手しようとしたが、容易に入らなかった。また、 いわき市は「防災対策を重点的に充実すべき範囲(EPZ)(半径8 ~ 10km圏内)の区域外、いわばいわき市は 原子力災害対策に関し「関係周辺市町村」に入っていないため、政府(原子力安全委員会)などからの通報が入っ てくることはなかった。(福島第一原子力発電所の事故処理については、未だ収束しておらず、予断を許さない状況にあり、 常時注視する必要があること、また本市により近い同第二発電所についても、同第一発電所事故を踏まえると、当然不測の事 態に備える必要があることから、これらの安全対策については、任意のルールではなく、相そうそう地方の立地町などと同様、書面 で協定を締結することなど、より確実なものとするため、平成24年7月、本市では、他町村に先駆けて、県、東京電力㈱との 間で通報連絡協定を締結)

 このため、今後の事態のさらなる悪化を考慮するとともに、市民の安全・安心の確保を第一とした早目の 対策として、いわき市は福島第一原子力発電所から30km、40km、50km圏内ごとの避難計画の作成を進めた。  30km圏内には、小がわまちかみがわわだ行政区および川かわまえ前町まちしもおけうり地区の一部(志みょう、荻おぎ地区が入ってくる。  状況が逼迫するなかで、自衛隊や警察当局の動き、双ふた地方から本市に避難している方々の動向など、さ まざまな周辺情報なども考慮に入れながら状況を分析し、先を見越した対応をするため、市長は独自の判断 に基づき、翌13日午前8時30分には、久ひさはま・大おおひさ地区の住民に対し自主避難を要請。さらに、3月15日 午前9時30分には、同じく30km圏内にかかる小川町上小川戸渡地区および川前町下桶売地区の一部(志田名、 荻)に対し、自主避難を要請した。

 避難の「勧告」「指示」について、市長は権限を持たないことから、「自主避難」というカタチで住民避難 に対応したものである。(表4-2)

 防災対策を重点的に充実すべき範囲(EPZ=Emergency Planning Zone)とは、原子力施設から放射性物質または放射線の 異常な放出を想定し、周辺環境への影響、周辺住民などの被ばくを低減するための防護措置を短期間に効率良く行うため、 あらかじめ異常事態の発生を仮定し、施設の特性などを踏まえて、その影響の及ぶ可能性のある範囲を技術的見地から 十分な余裕を持たせて定めた範囲をいう。(原子力安全委員会の「原子力施設等の防災対策について」〔防災指針〕〈当時〉による)

浜・大久地区や小川町、川前町のそれぞれ一部の住民が避難した後であった。

 この後の3月25日、枝野内閣官房長官の記者会見において、半ば後追いのようなカタチで半径20 ~ 30km 圏内の住民に自主避難が促された。食料や生活用品などのモノ不足が深刻化し、屋内退避することが現実的 でなかったからだったが、法的な拘束力はなかった。

ウ 明らかになる、同心円に関わらない放射性物質の飛散  しかし、高濃度の放射線量を示す場所は、

必ずしも同心円の距離と整合しないことが明 らかになる。それまでは同心円の距離で危険 度を判定していたが、そのことが正確な情報 の拠り所と成り得なくなっていた。風や雨、 地形の影響を受け、距離と放射能は必ずしも 相関関係とはならず、いわばまだら模様を浮 かび上がらせ、加えて情報が不確かだけに周 囲の住民だけでなく、広い範囲で住民のなか に心理的な不安と恐れが広がった。

 このため、民間の研究所などでは、拡散予 測図が作成されたが、原子力に関する政府 関係組織では正確性を見極める必要性から、

「SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワー クシステム)(風向きなどから被曝や放射性物質の 拡散状況を予測することができるシステム)の発表 を容易に実施することができず、政府が全面 公表に踏み切ったのは4月下旬に至ってから であった。(図4-3)

 なお、SPEEDIが即座に活用されなかったこ とについて、事故後の国会、政府、民間の各 調査委員会が出した報告の評価は分かれた。  すなわち、国会の「東京電力福島原子力発

電所事故調査委員会」では“避難区域設定の根拠とするだけの正確性はない”と評価したが、民間の「福島 原発事故独立検証委員会」では“判断材料にすることは現実的に難しかったが、拡散する方向を示すものと して利用することも可能だった”とし、政府の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」 では“公表されれば避難の方向やタイミングを適切に選択できた”とした。

エ 政府による屋内退避指示が解除、さらに新たな指定区域外へ

 福島第一原子力発電所の事故が比較的安定したことにより、同発電所から半径20 ~ 30km圏内の屋内退避 指示が解除されたのは、4月22日のことであった。同日、菅内閣総理大臣は福島第一原子力発電所の半径 20km圏外のうち、新たに「計画的避難区域」・「緊急時避難準備区域」の特定地域を指定したが、この地域 指定はこれまでの同心円とは異なり、放射性物質の拡散状況に沿ったものとなった。

 この時点で、本市の全域が新たな指定区域外となった。

オ 「市長が定める自主避難区域」を設定

 日を追うにつれて、福島第一原子力発電所の事故は比較的安定していったが、放射線量の数値でみると、  この後、菅内閣総理大臣より福島第一原子力発電所の半径20 ~ 30km圏内の住民に対して屋内退避指示が

発令されたのは、3月15日午前11時のことで、いわき市においてはすでに発電所半径30km圏内となる久之

表4-2 政府、市が行った福島第一原子力発電所事故に伴う「避難」対応 政府、市の対応

月日・時 総理大臣などの対応 いわき市長の対応

3月11日 午後9時23分 ・半径3km圏内の避難、同3~10km圏内の屋内退避指示を発令 3月12日 午前5時44分 ・半径10km圏内の避難指示を発令

3月12日 午後6時25分 ・半径20km圏内の避難指示を発令

3月13日 午前8時30分 ・久之浜・大久地区民に自主避難を要請

3月15日 午前9時30分 ・小川町、川前町のそれぞれ一部住民に自主

避難を要請 3月15日 午前11時00分 ・半径20~30km圏内の屋内退避指示を発令

3月25日 午前11時46分 ・半径20~30km圏内の住民に自主避難を促 4月22日 午前9時44分 ・半径20~30km圏内の屋内退避指示を解除 注)福島第二原子力発電所に係る避難指示などは省略。

凡例実効線量等値線(mSv) 1=100 2=503=10 4=55=1

↑屋内退避レベル

図4-3 後日明らかにされたSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシス テム)のデータ〔資料:文部科学省データから掲載〕

(5)

かわ

まえ

まち

しも

おけ

うり

地区の一部(志みょう・荻おぎにおいては、市内の他地区と比較し高い放射線量が観測される地点が 確認されたことから、7月5日に、市独自の措置として、当該地区を「市長が定める自主避難区域」に設定し、 避難を希望する住民に対し、一時提供住宅の確保や除染(213 ~ 215ページに記述)などの対応を優先的に行った。

(3) 市からの情報発信と働きかけ、要望、申し入れ

写真4-6 野田内閣総理大臣に対し、要望活動を行う市長 小名浜港などを視察した際に、直接要望した。

〔平成24(2012)年7月7日 いわき市撮影〕

写真4-7 根本復興大臣に要望活動を行う市 長と根本市議会議長

〔平成25(2013)年1月 いわき市撮影〕

22日には大手コンビニエンスストアの一部店舗が再開するなど、早期 の物資確保・物流再開につなげることができた。ガソリンなどの燃料 についても、一旦は閉鎖した市内給油所に対し、3月16日に市内11 か所へ政府調達ガソリンおよび軽油を搬入したことを皮切りに、3月 20日からは段階的にガソリン、灯油、軽油、重油が供給された。  さらに、原発事故の早期収束や適正な補償、風評被害の解消、本市 の災害対策・復旧・復興に対する財政的な支援などの中・長期的に解 決が求められる事項についても、国や県、関係機関などに対し、文書 による要望を重ねてきたほか、6月6日には、市長が上京し、菅内閣 総理大臣をはじめ、関係大臣に対し、震災復旧・復興に向けたさまざ まな分野における緊急要望活動を行い、その後も引き続き要望活動を 行っている。(写真4-5、6、7)

 今後も、いわき市の再生と復興に向けて取り組むため、既存 の法令・制度など、従来の枠組みにとらわれない政策の立案と 早期・確実な具現化など、市単独では困難な事柄についての実 施や、市の取り組みへの支援を国などに対し継続して求めてい くこととしている。(表4-3)

 このほか、多くの視察団や調査団などが、いわき市の被災状 況を視察した。(写真4-8)

① 情報発信

 市は、震災発生直後から、FMいわきやテレ ビを通じて、市民に対し、落ち着いた行動や震 災対応への協力のお願いのほか、物資・燃料不 足に対する市の対応の状況など、さまざまな情 報を発信してきた。

 市の公式ホームページでは3月14日にトッ プページの構成を変更。「震災関連メニュー」 を設け、被災者に対する支援制度や窓口紹介な どの項目ごとに、震災関連情報を一元的に提供 した。

 また、「地震」、「津波」、「原発事故」、「風評被害」

の“四重苦”に苦しめられた本市の現状を一刻も早く改善するため、市長や副市長自らが、テレビや新聞な どのインタビューに対応し、本市の窮状などを全国に発信するとともに、全国の関係機関などに対し支援や 協力を訴えた。(写真4-4)

 

② 大災害時における情報の功罪

 情報の受発信について、今回の震災を通じて課題として浮き彫りになったのは、インターネット社会の功 罪であった。

 大災害時において、ソーシャルネットワークは国民個々人の情報収集と伝達に大きく貢献する一方、住民 を動揺させ、不安をあおるような虚偽の風説がインターネット上を中心に流布された。(たとえば、餓死者の発 生、著名人死亡説、学校給食、支援物資放置、首長の動向など)

 いわき市においても、今後災害時における情報の受発信のあり方を、改めて構築していく必要性が認識さ れた。

③ 関係機関へ働きかけ・要望

 震災直後から、ライフラインの断絶や原発事故の風評により物流がストップするなど、本市の置かれた状 況は非常に厳しく、市民の生活が立ち行かなくなる恐れがあった。

 このため、市では、震災後10日間ほどは、食料品や飲料水、医薬品、日用品、ガソリンなどの生活必需 品の確保や物流の正常化など、市民生活の安定を最優先に、課題解決に向けた働きかけや要望活動に取り組 んだ。

 具体的には、報道機関などを通じた全国への情報発信に加え、災害対策本部の陣頭指揮に立つ市長が、電 話や面会など、あらゆる手法を駆使し、国会議員をはじめ、国・県や関係機関などに震災当初から連日連夜 にわたる再三の働きかけを行い、事態の改善をめざした。

 その結果、生活関連物資については、国からの食料の提供や全国各地からの生活物資の支援に加え、3月

写真4-8 フランス防衛国家安全事務院局長が来市

〔9月30日 いわき市撮影〕

月 日 要 望 先 主 な 要 望 内 容

3/15 民主党自由民主党 ○避難先の確保、物資の確保

・万が一の35万人市民の避難計画の準備  ・現時点で絶対的に不足しているものの確保

3/26 政府民主党 自由民主党

○市民生活の安寧

・被災された方々に対する生活の支援   ・安寧な市民生活の確保  

・風評被害の解消

3/28 政府民主党 自由民主党

○農林水産物の風評被害

・補償制度の確立と融資制度の創設    ・農産物の流通

・データの公表、風評被害の払拭     ・公共施設などにおける農産物の使用

・専門技術職員の派遣、放射線対策の指導 表4-3 震災発生後における主な文書要望

写真4-4 ガレキ処理の課題について、BSフジ「PRIME NEWS」へ

〔7月13日 いわき市撮影〕生出演

写真4-5 菅内閣総理大臣に対し、緊急要望活動を行う市長

〔6月6日 いわき市撮影〕

(6)

④ 東京電力㈱に対する申し入れなど

 震災発生以降、国や県、原子力安全・保安院など 関係機関に対し、福島第一原子力発電所事故の早期 収束などについての要望・申し入れを数多く行っ た。事故発生から3か月を経過した6月30日、東 京電力㈱の西沢俊夫社長および前社長の清水正孝顧 問が、社長交代に伴うあいさつのため、初めて本市 を訪れた際には、福島第一原発事故の早期収束や適 正な補償の実施について、強く申し入れを行った。

(写真4-9)

 また、9月13日には、東京電力現地対策本部を

(4) 市議会の対応

月 日 要 望 先 主 な 要 望 内 容

4/1

現在

政府 民主党自由民主党 衆議院議員 参議院議員 県知事

○原発事故関連

・福島第一原子力発電所災害の早期収束

・風評被害の解消

・福島第一原子力発電所災害に関する適正な補償の実施

・放射性物質の海洋放出について説明責任を果たす機会の設定

・原子力防災対策を充実すべき区域(EPZ)の範囲拡大

・東京電力㈱福島第二原子力発電所周辺地域の安全確保に関する協定書の締結

・東京電力㈱福島第二原子力発電所の確実な安全対策

・放射性物質の除染の実施

・市民の健康管理等

・放射線・放射性物質対策

○小名浜港関連

・小名浜港の早期復旧・整備

・小名浜港周辺地区の一体的な復興

○水産業への対応

・漁業者に対する支援、指導などの実施、ソフト・ハードの環境整備

・漁業者の操業再開に向けた対応

・漁港等の復旧

○観光産業への支援

○高速道路、JRなどの高速交通体系の整備など

○土砂災害への対応

○宅地災害等への対応

○災害ガレキ等への対応

○再生可能エネルギー関連産業の集積

○小規模な給水施設の財政支援等

○国・県等の関係機関の設置

○本市の災害対策、復旧、復興への支援       などを繰り返し要望

① 市議会対策本部の設置

 市議会では、東日本大震災による甚大な災 害に対応し、市の災害対策や災害復興などに 寄与するため、3月28日に、市議会内部に全 議員を構成員とする「いわき市議会東北地方 太平洋沖地震対策本部」を設置(4月2日に「い わき市議会東日本大震災対策本部」に名称変更)  同対策本部会議においては、震災からの復 旧に向け要望内容の協議など行い、4月5 日に福島県などに対し、要望活動を行った。

(写真4-11)

 さらに、4月21日には、同対策本部を代表

して、蛭田議長と遠藤副議長が、東京電力㈱本社や関係省庁を訪れ、東京電力㈱山崎副社長、鹿野農林水産 大臣、玄葉国家戦略担当大臣、海江田経済産業大臣などに対し、「東日本大震災に係る緊急要望」活動を行った。

② 東日本大震災復興特別委員会の活動

 市議会は、被災者や地域住民の声を市政に反映させ、市の復興計画が市民の要望と信頼に応えるものとな るよう、復旧・復興に向けた諸課題を調査し、市当局に対し提言を行うため、6月16日に「いわき市議会 東日本大震災対策本部」を発展的に解体し、「東日本大震災復興特別委員会」を設置した。

 同委員会では、〔1〕市民生活の復興推進に関すること 〔2〕地域産業の再生・復興および雇用対策に関 すること 〔3〕防災まちづくり及び原子力災害対策に関すること  を所管する3つの分科会を設置し、議 論を重ねてきた。

 検討結果については、市長に対する提言書としてとりまとめ、7月29日の緊急提言を皮切りに、これま で3度の提言を行った。

 また、7月25日には、東京電力㈱幹部の出席を求めて委員 会を開催し、福島第一原子力発電所の事故について、東京電力

㈱から謝罪があり、説明を受けた後、質疑応答を行った。(写 真4-12)

 12月26日には、正副議長をはじめ、各派代表者、議会運営 委員会委員、東日本大震災復興特別委員会正副委員長が東京電 力㈱東京本店を訪れ、福島第一原子力発電所からの放射性物質 汚染水の海洋放出計画に抗議し撤回を求める決議書を提出し た。

③ 市議会臨時会で、震災関連条例・補正予算などを審議

 市議会は、東日本大震災からの迅速な復旧、復興を図るため、随時、市議会臨時会(平成23年5、7、10月、 平成24年2、4、10月)を開催し、震災関連の条例制定・改正や、補正予算、財産取得などの案件を、それぞれ 審議・可決した。

訪問し、福島第二原子力発電所の確実な安 全対策や福島第二原発周辺地域の安全確保 に関する協定書の締結について、申し入れ を行った。この後、平成24(2012)年3月の 要望に続き、同年7月には容易に進まない 東京電力㈱の補償について、適正な補償の 実施を強く要望した。(写真4-10)

写真4-9 東京電力㈱社長らから謝罪を受ける市長

〔6月30日 いわき市撮影〕

写真4-10 新たに就任した東京電力㈱新社長

(左・廣瀬氏)、会長(右・下河邉氏)に要望する市長

〔平成24(2012)年7月2日 いわき市撮影〕

写真4-11 福島県議会議長に対し要望活動(中央=蛭田議長、左=遠藤副議長)

〔4月5日 いわき市撮影〕

写真4-12 東京電力㈱の幹部が出席した特別委員会

〔7月25日 いわき市撮影〕

(7)

(5) 鎮魂の祈りに復興を誓い

① 合同追悼式を開催

 この後、遺族代表、来賓が追悼 の言葉を述べ、映像で震災後1年 を振り返り、ビデオレター、子ど もたちによる演奏やフラダンスが 披露され、大勢の市民がそれぞれ の思いのなかで鎮魂の祈りを捧 げ、復興を誓った。(写真4-15)  館内では数か所のモニターに よって追悼式の様子を映し出し、 夜間には平たいら中央公園において県主 催による鎮魂のキャンドルナイト が行われた。(写真4-16)

 各地域においても、平たいらとよ 地 区でキャンドルナイト、平たいらうすいそ 地区で震災1周忌と復興祈願や

「ヒューマンバンド」、勿こそ地区で 合同の「なこその希望 鎮魂祭」、 四よつ

くら

地区で追悼イベント、久ひさはま 地区で「3・11久之浜追悼の祈り と復興花供養」などが思い思いの 趣向で開催され、多くの地区民が 追悼の祈りを捧げた。(写真4-17)  市は7月9日、震災で犠牲になった市民

の霊を慰めるため、遺族や市民、関係者な どが出席して、市総合体育館で東日本大震 災合同追悼式を開催した。

 式では、市長は亡くなった市民や遺族に 追悼の言葉を捧げ、「一日も早くもとの生 活を取り戻してもらえるよう、安全安心を 最大限に確保しながら、愛するふるさとい わきが震災前よりも活気のあるまちとし て、復興が遂げられるよう全力を挙げたい。 未来に向かって力強く歩む私たちを見守っ てほしい」と復興に向けた新たな誓いを述 べた。(写真4-13、14)

 このほか、震災から100日を迎えた6月 18、19日には、平たいらうすいそや平たいらとよ豊間、久ひさはま・ 大おお

ひさ

地区などにおいて、地域主催の合同供 養祭が開催された。

② 「3・11 いわき追悼の祈りと復興の誓い 2012」を開催 (6) 大災害を踏まえ、改正災害対策基本法が成立

① 東日本大震災を教訓に法改正

 平成7(1995)年の阪神・淡路大震災、平成12(2000)年の茨城県東海村におけるウラン加工施設の臨界事故、 平成17(2005)年のインド洋津波災害、平成19(2007)年の新潟県中越地震はそれぞれに課題を残したことから、 そのたびに政府は災害対策の基本となる「災害対策基本法」を改正、あるいは防災基本計画を修正してきた。  今回の東日本大震災においては、今までにも増して多岐にわたる大きな教訓や課題を残したことから、国 は中央防災会議(11ページに記述)において防災対策の全般的な見直しを図り、「大規模災害時における対応 の円滑化等緊急性の高いものについて法制化の検討を進め、関連法案の今通常国会への提出」をめざし、こ の結果、平成24(2012)年6月27日に「改正災害対策基本法」を公布・施行するに至った。

 今回、大きな教訓となったのは、次の点であった。

〈1 〉住民の避難や被災地方公共団体への支援などに関し、広域的な対応がより有効に行える制度が必要。そ の際には、事前の備えも必要であること

〈2〉教訓・課題を、防災教育などを通じて後世にしっかりと伝承していく努力が大切であること

〈3 〉災害対策に当たっては、「直ちに逃げること」を重視し、ハード・ソフトのさまざまな対策により、被 害を最小化する「減災」に向け、行政のみならず、地域、市民、企業レベルの取り組みを組み合わせなけ れば、万全の対策がとれないこと

 東日本大震災から1年が過ぎた平成24(2012)3月 11日、市はいわき芸術文化交流館(アリオス)の大ホー ルにおいて、「3・11いわき追悼の祈りと復興の誓 い 2012」を開催した。

 式では、まず市長が東日本大震災市犠牲者名簿を 奉安。東京都の国立劇場で開かれた国主催の「東日 本大震災1周年追悼式」の映像を舞台に投影。震災 発生時間の午後2時46分には、映像に合わせて黙 とうを行った後、天皇陛下のおことばが流れた。  続いて、市長が「尊い犠牲をかたときも忘れるこ となく、これまで支援していただいた方々に心から 感謝しつつ、市民と力を集結し、この震災からの復 興を必ずや成し遂げるとともに、さらなる飛躍を目 指し、最善を尽くすことを誓う」と式辞を述べた。

写真4-14 小川地区の子どもじゃんがらが披露〔7月9日 いわき市撮影〕 写真4-13 追悼の言葉を述べる市長〔7月9日 いわき市撮影〕

写真4-15 アリオスで開催した「3・11いわき追悼の祈りと復 興の誓い 2012」

〔平成24(2012)年3月11日 いわき市撮影〕

写真4-16 平中央公園で開催された「希望のあかり」 各人のメッセージを込めたキャンドルを並べ、明かりをともした。

〔平成24(2012)年3月11日 いわき市撮影〕

写真4-17 岩間町の被災地で開催された「なこその希望『鎮魂祭』」

「勿来こどもじゃんがら隊」が念仏踊りを披露した。

〔平成24(2012)年3月11日 いわき市撮影〕

(8)

② 法に新たに盛り込まれた、大規模広域災害時における被災者対応改善

 法改正によって新設されたのは、「大規模広域な災害時における被災者対応の改善」である。

 東日本大震災で被害の大きかった市町村で、行政機能が麻痺して適切な支援要請ができなかったケースが あったことから、要請がなくても国や都道府県が独自の判断で物資を送ることのできる仕組みとした。  もう一つは避難住民の受け入れである。被災自治体から住民受け入れを求められた市町村は、正当な理由 がない限り公共施設提供を義務づけた。災害時に寝たきりの人の安否確認がスムーズにできるよう、自治体 が持つ個人情報の運用の仕方を検討することも盛り込まれた。これは、非公務員の消防団員などが個人情報 の提供を受けやすくできることを念頭に置いたものであった。

 政府は、今後も論議を継続して、引き続き災害対策全般の見直しを進めることとしている。

2 大量に発生した災害ガレキを処理

(1) 津波被災地におけるガレキなどの撤去

① 市建設業協同組合の協力で、ガレキなどを撤去

 大津波により、壊滅的な被害を受けた沿岸部には 大量の流出ガレキが発生した。市は、被災者の捜索・ 救命活動を迅速に進める一方で被災者の生活を早期 に再建するため、いち早く流出ガレキを撤去しなけ ればならなかった。

 土木部が窓口となって、市道、県道に関わらず、 津波で被災した区域のガレキを撤去した。

 まず、いわき市建設業協同組合と結んだ「災害時 における応急対策業務の支援に関する協定」に基づ き、地元の建設業者の協力を得ながら、震災翌日の 12日から重機を用いて、道路上に流出したガレキ などの撤去作業を開始した。同時に、自衛隊、県警、 消防本部、消防団などによる行方不明者の捜索・救 助活動が始まったことから、両者は連携を取りなが ら、慎重に作業を進めた。(写真4-18)

 津波被害地区における道路上から流出ガレキを取 り除く作業は、4月上旬にはほぼ終了する見通しが 立ったことから、市では国指針「東北地方太平洋沖 地震における損壊家屋等の撤去等に関する指針」(3 月25日)に基づき、4月1日に市の取組方針となる

「津波により損壊した家屋等の撤去に関する基本方 針」を定め、4月6日からは、民有地などの敷地に ある、原形をとどめないガレキの撤去・搬出を始め た。

 流失物のなかには家族のアルバムや遺品、記念品などがあり、地元の人たちの協力を得ながら、保管に努 めた。(写真4-19)

 この際に、自動車、船舶などの動産は仮置き場に搬出し、原形をとどめていないガレキ状態の建物などに ついては所有者の特定が困難なことから、承諾なしに撤去した。

 この作業は7月末には完了した。

② 所有者の意向で津波被災の建物を撤去

 7月からは、津波で被災したものの一定の原形をとどめている建物について、撤去を開始した。

 この場合はあらかじめ所有者の意向を確認する必要があった。所有者が死亡している場合は、相続者など の意向も取り付けることとした。阪神・淡路大震災時には、これを十分に調査しきれずに行って裁判に至っ たケースがあってのことを踏まえた措置であった。

 また、国の方針に基づき、建物の基礎や浄化槽については撤去しないこととした。

 このことは、行政機関と被災者の間で見解の相違をみることとなった。すなわち被災者とすれば、建物と 一体物として撤去の意向が強かったが、津波被災地は面的に被害を受けており、基礎部分まで除去してしま うと敷地境界がわからなくなってしまうこと、復興事業の対象地となった場合にはかさ上げのため盛り土な どの施工をすること、などにより家屋などの基礎部分については撤去しなかった。

 市内における津波による解体撤去は2,246棟(平成24年3月31日現在)にのぼった。  なお、収集された津波ガレキは津波専用の仮置き場に集められた。

 この後、津波被災地について、復興整備事業区域の土地利用がおおむね決定したことから、平成24(2012) 年11月からは、復興事業の対象外として「現地復興型」(被災前のまちの機能を回復・向上)の区域にある約1,700 棟を対象に、実態・意向調査の結果を踏まえ、同意を得て家屋基礎の解体撤去を実施することとした。

(2) 災害ガレキの処理

① 家庭系災害ごみの仮置場を設置

 3月11日の本震に続き、4月11、12日の 余震、さらにこの間にも余震が続き、沿岸 部以外においても多くの建物が損傷を受け た。

 これら地震災害に伴って排出されたガレ キ・ごみについては、2通りに分けられる。  その一つが家庭から出た災害ごみであ る。震災で壊れた家具や食器などを受け入

れることにより市民が1日も早く日常生活を取り戻せるよう、市は災害ごみを臨時的に集積する仮置場を北 部(四よつくら市民運動場、仁運動場、八埋立処分場跡地)、東部(北緑地グラウンド、小名浜港運動施設)、南部(勿 こそ

市民運動場、クリンピーの丘)の3か所を設け、3月30日から本人もしくは本人から依頼された業者による受 け入れを開始した。搬入手数料については無料とした。(写真4-20)

 家庭系災害ごみの受け入れは平成24(2012)年3月31日で終了した。これらの家庭系災害ごみの片付けなど については、多くの災害ボランティア活動の協力があった。

 なお、市は毎年実施してきた「いわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動」の枠組みを活用して4月 20日から9月6日まで、町内会や各種団体からの申し込みに基づき、仮置場へ運搬することが困難な家庭

写真4-18 まず、道路通行を確保するためにガレキを除去

〔4月 いわき市撮影〕

写真4-19 重機による津波ガレキの撤去作業(久之浜町)

〔4月26日 いわき市撮影〕

写真4-20 仮置き場となった山田町の勿来市民運動場

〔6月30日 いわき市撮影〕

(9)

などから地区の空き地などへ排出された災害廃棄物などを 特別収集し、被災地域を面的に支援した。(写真4-21)

② 分別を前提に災害ガレキ・ごみを仮置場へ

 もう一つは家屋の解体に伴う災害ガレキである。生活環 境の維持・保安上解体する必要がある家屋などを対象に、 家屋所有者などの申請に基づいて、市が解体撤去するもの で、6月1日から平成24年(2012)3月30日まで、生活環境 部が窓口となって申請の受け付けを実施した。(写真4-22)  建物解体後は順次、災害ガレキとして仮置場に運搬し、

 可燃物となるガレキについては、先の「福島県内の災害廃棄物の処理の方針」により、一定の排ガス吸着 能力を有する施設において焼却することが可能となり、不燃物については管理型最終処分場に埋め立てする ことが可能とされた。

④ 「東日本大震災に係る災害廃棄物処理実行計画」に沿って円滑処理を

 いわき市内で発生した災害廃棄物約70万tのうち、約80%に当たる56万tをリサイクル、約6%の4万 tを焼却、約14%の10万tを埋め立て処分する計画であり、平成24(2012)年10月末でリサイクル処理された コンクリート片や木材などは約37%の26万2,000tに達した。

 集積した災害廃棄物のうち、リサイクルできない木くずやプラスチックなどの焼却が必要な分については、 北部清掃センターおよび南部清掃センターにおいて焼却処分する予定であったが、災害ガレキを焼却するこ とによって周辺地域にどのような影響をもたらすのか、不安を持つ住民が多かった。このため、市は処分開 始に向け、災害廃棄物の放射性物質の濃度測定、処理施設の周辺環境における放射線量モニタリングの実施・ 公表、施設周辺住民への情報提供、試験焼却などを行いながら、市民理解につなげる努力を継続した。  この結果、南部清掃センターについては住民理解を得て、平成24(2012)年9月から災害廃棄物仮置場に集 積されたリサイクルが困難な可燃物について焼却処分を開始し、同時に瓦や土砂などの不燃物についても市 内の埋立処分地への埋立処分を開始した。

 処理完了に向けた計画としては、まだ完了していない家屋などの解体撤去を進め、これに伴う災害廃棄物 の搬入と、すでに集積した廃棄物の選別・処理(リサイクルを含む)を、平成24(2012)年3月に策定した「東日 本大震災に係る災害廃棄物処理実行計画」に沿って、計画的かつ効率的に進め、平成26(2014)年3月末まで の完了を目途にしている。

3 復旧・復興へ大きな力、ボランティア活動

(1) 相次いで災害救援ボランティア組織が設立

① 家屋被害などで、日常生活に戻れない状況

分別して、それぞれリサイクルができるように選別 を行った。(図4-4)

 これら、津波ガレキや災害ガレキの発生量は約 70万tと推定された。

 市は、災害ガレキを一時的に保管する一次仮置場 を設置した。

 また、リサイクルを円滑に進めるため、二次仮置 場を設置し、一次仮置場のガレキを「金属・家電類」・

「コンクリート」などに分別して移送するなど、計 画的なガレキの処理に取り組んだ。

 災害ガレキの処理については、当初、国により処 分が制限されていたが、6月23日、国が「福島県内 の災害廃棄物の処理の方針」を示したことから、本 市においても基準に当てはま

るものについて、一定の条件 で災害廃棄物の処理を進める ことができるようになった。

 東日本大震災では、大地震や大津波でいわき市全体が家屋や敷 地などの被害に見舞われ、多くの市民が日常生活を営むうえで大 きな支障を来たすことになった。

③ 災害廃棄物を分別処理

 これを受け、市は7月から、災害廃棄物 について放射能に関する国の処理基準(市 場に流通する前の状態で、廃棄物を安全に再利用 できる基準100ベクレル/㎏以下)を確認でき た品目から順次、処理を開始した。  具体的には、コンクリートやアスファル トは道路の路盤材などに、鉄やアルミニウ ムなどの金属類は鋼材の材料に、木くずな

どは住宅用建材などにそれぞれ活用するな 況にあり、支援を求める声があった。(図4-5、写真4-24)

 平成7(1995)年に発生した阪神・淡路大震災以来、大 災害が起こるたびに被災地を救おうと、多くのボラン  このうち、

家屋の損壊程 度によっては 中高齢者や障 がい者などの 多くは容易に 日常生活を取 り戻せない状

ど、リサイクル処理を進めた。処理に当たっては、福島県と

福島県産業廃棄物協会との災害協定に基づき、 同協会いわき方部会員で構成する共同事業体へ委託した。(写真4-23)

写真4-22 地震で大きな被害を受けた建物を申請に基づいて撤去

〔平成24(2012)年4月 いわき市撮影〕

図4-4 災害ガレキの処理過程

一次仮置場 二次仮置場 再生利用

(リサイクル)

焼  却

焼却灰 埋め立て

木くず 金属・家電 コンクリート 可燃ごみ 不燃ごみ 混合ごみ

金属・家電 コンクリート

写真4-23 品目ごとに分別されたガレキ(新舞子ハイツグラウンド)

〔平成24(2012)年1月11日 いわき市撮影〕

図4-5 いわき市における災害支援ニーズの内訳 いわき市災害救援ボランティアセンターでは、述べ 7,245件のニーズに対し、7,169件のマッチングに対応 した。〔平成24(2012)年6月30日現在〕

〔資料:『東日本大震災 いわき市における災害救援・復 興支援活動について』から作成〕

7,245 件

(延べ)

震災ゴミなど の分別・運搬

36%

震災ゴミなど の分別・整理

31% 家屋内外の

土砂上げ14% 土砂上げ側溝の

13% ブロック塀など の片付け・運搬

6% 写真4-21 家庭から出た災害廃棄物の特別収集

〔6月21日 協同組合いわき市環境保全センター提供〕

写真4-24 被災者とボランティアのニーズ受付

〔4月21日 市社会福祉協議会提供〕

参照

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